走馬灯のように/15 ◎江戸時代の謎:3◎ 江戸庶民の教育を支えていた寺子屋。貧富に関わりなく 多くの子供達が通っていたが、その読み書きのレベルは 世界でも高かったと言われている。その秘密は往来物と呼ばれる 寺子屋の教科書にあった。その数なんと7000種類以上。 また、算術のレベルも世界クラス。「塵劫記」という算術書が ベストセラーになり、庶民の多くが遊び感覚で算術に取り組んだ。 その結果、難問を絵馬に描いて神社に奉納する「算額」という 特殊な文化が発達、世界的な数学の定理を解き明かす所まで 行き着いた。また、寺子屋の学習スタイルにも注目。 その謎を解く鍵は群馬県の富士見村にあった寺子屋 「九十九庵」にあった。そこには生徒60人にあわせた カリキュラムが残されていた。更に江戸時代中期には 「教育書」が大人気に!怒られた子どもを救済する ちょっと変った「しつけ」法を紹介している。 「サツマイモのりんかけ」 当時の寺子屋の授業はたいてい午前7時半から午後の2時半まで、 午後2時30分は当時「昼八つ」といいこのことから、 子供の帰宅時間を「おやつ」いうようになった。 更にそれが転じ、帰ってきて子供が食べる間食を 「おやつ」と呼ぶようになったのだ。当時のおやつ 「サツマイモのりんかけ」現代で言う大学芋だ。 「りんかけ」の「りん」は砂糖のことで、当時貴重だった砂糖を たっぷりと使ったおやつは子供にとってはご馳走だった。
by tomhana0907
| 2014-01-15 04:26
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